大仙寺

毒湛匝三禅師

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第十七世

毒湛匝三禅師 どくたんそうさんぜんじ

  • 晋山…明治二年(1869)
  • 没年…大正六年(1917) 一月九日 七十八歳
  • 出身…本巣郡祖父江郷
  • 出生…豊田淨万の長男

 嘉永六年(1853)春、各務原新加納の少林寺の聚会に赴き万寧和尚の室(禅問答をする関係弟子)に入る。安政三年(1856)の伊自良東光寺での聚会に加わり、ついで江州竹生島や木の本へ赴いた。翌年秋には江州(滋賀)永源寺に掛塔し、海州和尚に師事した。
 安政六年秋 開山無相大師五百年遠忌では妙心寺で接心会があり二十歳の毒湛も出向いて掛塔した。続いて、筑後 梅林寺へ行き、羅山和尚に参禅し 翌万延元年(1860)春、筑前(福岡)志賀島の文殊を詣で、豊後(大分)の佐伯洞明寺(東明寺)、杵築(大分)の陽徳寺などを巡った。
 帰ったところ東光寺住職を命じられた。前住駿桑和尚から毒湛との道号を与えられ、妙心寺で垂示式を行って妙心寺第一座(座元)に転位。時、二十三歳。

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明治五年(1872)妙心寺派の美濃五百ヶ寺を束ねる門派取締に就任
明治八年(1875)

一月 東光寺退山

十二月 名古屋徳源寺は赴き鷟巓(ごうてん)に参禅した

明治十一年(1878) 徳源寺で毒湛軒と自称していたところを、請われて明治十一年八月に大仙寺へ入寺
毒湛は、巨額の借財を抱えた大仙寺の再建に勤める 
明治十三年(1880) 七月三十一日 方丈屋根の萱の葺替えが行う
この頃、大仙寺山内 臨江軒(今の幸福殿)に居た潭海禅師に毒湛は朝参禅暮請し、教えを受ける
明治十五年(1882)潭海から印可を受けるに至り、雲水指南の老師となる
師と仰ぐ潭海が大仙寺臨江軒から多治見虎渓山永保寺に移ると共に、毒湛も大仙寺を退山
永保寺に入る
大正二年(1913)夏 妙心寺管長を勤める
大正三年(1914)冬 退山
大正六年(1914)一月九日遷化 七十八歳

歴代住職年表

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