大仙寺

惟天景縦禅師

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第六世

惟天景縦禅師いてんけいしょうぜんじ

  • 晋山…天正十五年(1587)
  • 没年…元和二年(1616) 六月十五日
  • 出身地…不明
  • 出生地…不明

 天正三年(1575)米山寺で師から道号を授けられ、その翌年には犬山市羽黒の興禅寺へ移っており、ここから銭五貫余を妙心寺へ納めて、前板寮に就き座元(ぞげん)の称を許される。 天正十五年(1587)二月に以安和尚が示寂したのにともなって、大仙寺は住山し、同年八月に先師の頂相を制作した。 天正十九年(1591)、妙心寺へ出世した。職状があり、職銭は実に一一〇貫文であった。
 慶長二年(1597)十月に某人に与えた衣鉢授与の書が大仙寺にあり、それには「再住妙心惟天叟書」との署名があることから、居成りから二年はどのうちに妙心寺へ再住したと分かる。 慶長末年ごろ、惟天和尚は苗木城主遠山友政公から、菩提寺として建立中の雲林寺住職にと拝請を受けた。落城は慶長十九年九月ごろで、当時正伝寺に住持していた和尚は、友政に「宗伝」なる法諱を授けてこれに応えるものの、入寺は固辞して、竜泉派梅竜寺の夬雲和尚を推挙したのであった。 夬雲和尚も実際にはその法嗣の中華を入寺させて、自らは住山しなかった。 友政はそれでもと、領内の犬地(現 白川町)の積善寺を隠居所に定め招いたので、晩年を和尚はここで長養し 元和二年六月十五日に示寂した。

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天正三年(1575)米山寺で師から道号を授けられる
天正四年(1576)犬山市羽黒の興禅寺へ移る
天正十五年(1587)大仙寺住持となる
天正十九年(1591)十二月二十六日 妙心寺へ入寺
文禄四年(1595)十一月十六日 妙心寺へ再住
慶長二年(1597)十月に某人に与えた衣鉢授与の書が大仙寺にあり、それには「再住妙心惟天叟書」との署名があることから、居成りから二年はどのうちに妙心寺へ再住したと分かる。
慶長末頃苗木城主遠山友政公から雲林寺住職の拝請を受ける
元和二年(1616)六月十五日 積善寺(加茂郡白川町、現・廃寺)にて遷化

惟天景縦の法嗣(後継者)

 惟天景縦の法嗣(後継者)は太陽玄功、済北玄良、千岳宗仞の三名。
太陽玄功は妙心寺聖沢院主となり、済北玄良は大仙寺・正伝寺に住山し、千岳宗仞は金沢の宝勝寺、少林寺の開山に招かれ、北陸に派を広めた。少林寺には千岳和尚の語録『千岳録』三巻がある。

歴代住職年表

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妙心寺聖澤派開祖・大仙寺開山

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近世初期の妙心寺を代表する傑僧

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第二世

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第三世

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第四世

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第五世

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第六世

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