大仙寺

愚堂東寔禅師

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第八世

愚堂東寔禅師ぐどうとうしょくぜんじ

  • 晋山…寛永七年(1630)
  • 没年…寛文元年(1661) 十月一日 八十五歳
  • 出身地…伊藤氏
  • 出生地…山県郡伊自良村

 両親は、この子が大変賢いことを知って、八歳になると伊自良・富山の陽徳軒主宗固首座のもとへ弟子入りさせた。
宗固は、偉器を持ちあわせていると見抜いて、伊自良東光寺住職瑞雲和尚の所へ連れて行ったのであった。ここで薙髪した東寔は、十九歳の時まで寝食を忘れて修行を重ねた。
 文禄四年、東漸の法嗣南景宗岳和尚が岡山の三友寺にいて、名僧の聞こえが高かったので、三友寺へ参じた。
寛永元年(1624)、師は四十歳を迎えた。このころすでに江戸へ赴いた折には春日局と親交を持つなど名声はとみに高まっていた。仙台の伊達政宗もこの名僧を瑞岩寺へ招こうとした。

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寛永七年(1630)

大仙寺住持となる。

春日局の援助を得て『宗門正灯録』を刊行

寛永八年(1631)閏十月十一日 泰翁良倹等へ尺牘を出す
寛永九年(1632)

大仙寺庫裡・書院完成

十一月 『金剛般若波羅蜜経』を開版

寛永十年(1633)大仙寺門前の参道に椿と茶を植える
寛永十二年(1635)十二月二十四日 妙心寺へ再住(初往は寛永元年)
寛永十三年(1636)大仙寺方丈が完成
寛永十四年(1637)十月十五日 稲葉方通、大仙寺へ寺領を寄進
寛永十五年(1638)大仙寺を現在地へ移転
寛永十六年(1639)七月一日 愚堂東寔「通用」を制す
寛永十七年(1640)

十月一日 稲葉方通、遷化

十二月一日 稲葉知通、大仙寺へ寺領を寄進

寛永二十年(1640)十月一日 妙心寺へ三住する
正保三年(1646)三月 愚翁宗癡へ「祖衷」の安名を与える
正保四年(1647)

四月 泰翁良倹へ印可状を与える

八月 泰翁良倹へ「泰翁」の道号を与える

慶安元年(1648)二月八日 泰翁良倹の求めに応じて「愚堂東寔像」に自賛
慶安二年(1649)大仙寺地蔵尊の点眼供養を修する
承応元年(1652)雪礀箇松の下火を制す
承応二年(1653)十二月二十七日 妙心寺法堂を建立のため、資助白銀五枚を送る
万治二年(1659)

九月十二日 妙心寺へ四住する

開山無相大師(開山慧玄)三百年遠諱法要の導師をつとめる

寛文元年(1661)十月一日 華山寺(京都府京都市)にて遷化

歴代住職年表

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近世初期の妙心寺を代表する傑僧

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